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執筆者の写真光二郎 荒木

6月11日瞑想会後、善光寺もうで

2023年6月11日の瞑想会は、長野市(篠ノ井交流センター)で行いました。

建物は新しく、緑に囲まれ、静か。とても環境がよく、皆深く集中できたと大喜び。大変よい瞑想会でした。

瞑想会後、皆で宿坊淵の坊で食事。

この部屋は、ブラタモリで、タモリが訪れた「清明の間」でした。





この広い部屋が我々の貸し切り状態に。Kさん、グッジョブです。




精進料理はとても手が込んで美しく、また味付けも絶妙で美味しかったです。


この部屋には、ブラタモリの番組にあるように、善光寺縁起を描いた掛け軸もあります。これは元禄時代のもので比較的新しいためにまだ鮮やかです。また、4対のかけ軸があるのは珍しく、他は2対、3対が多いそうです。


副住職から掛け軸の説明がありました。

秘仏はインド、百済を経て日本にわたります。

しかし、国内に悪い病気が流行いたしましたので、蘇我氏を良く思っていなかった物部尾興(もののべのおこし)は、寺に火を放ち、阿弥陀さまを大きな炉で溶かしてしまおうとしました。ところが七日七晩たっても少しも溶ける様子がなかったので、そのまま難波の堀江というところに投げ込んで沈めてしまいました。

信濃の国、麻績の里に本田善光(よしみつ)という人が住んでおりました。善光が難波の堀江のかたわらを通りかかると「善光善光」と呼ぶ声がします。すると堀の中から「信濃の国は有縁の地なれば負いて帰るべし」と声が聞こえ、阿弥陀さまは光を放って善光の背中に飛びつきました。

善光は、喜び勇み、一光三尊の阿弥陀さまを背負って信濃に帰り、西の庇の臼の上に安置して信仰しました。

その後、如来さまの霊験の尊さに心をうたれた皇極天皇のお力によって、阿弥陀さまをおまつりする立派なお寺が建てられ、本田善光の名をとって善光寺と名付けられました。



その後善光寺詣で。雨でしたが大勢の参拝客で賑わっていました。


真っ暗な地下を胎内巡りもして、仏様とつながっている鍵がみつかった、などと喜んでいましたが、やはり本日一番のハイライトは、善光寺史料館の絵馬でした。

史料館内は写真禁止です。以下の写真は、善光寺公式HPなどのものです。

史料館は、いろいろ見どころはありますが(仁王像、百羅漢像、砂曼荼羅など)、




我々の目的は、何と言っても信者が奉納した絵馬の数々。K氏がブラタモリで見て、ぜひ本物を見てみたいということで来ました。


これは、明治時代、上高井郡日滝村(現在の須坂市)の牧祥周という人が、夢に現れたお姿を自ら描いた絵馬です。


文字の冒頭部分を拡大して貼り付けておきます。


この絵馬の下にある解説のプレートには、夢の中で阿弥陀さまが現れ、世界は阿弥陀さまがなったものであるという真理を直接教えられたことが書かれています。

このほかにも、いろいろな人が純粋な信仰を通して、仏さまのみ姿を実際に拝したり、奇跡的な体験をしたことが、絵馬に描かれています。


公式ホームページには史料館について、「かつて本堂に架けられていた絵馬や、永代開帳額などを通して全国に根付く善光寺信仰の歴史を垣間見ることができます」と書かれています。

ただひたすら仏様のことを思うというバクティ・ヨガの道を歩み、こうした得難い体験をした境地の高い信者が実際に何人もいたことを知り、一同驚き、感動しました。


実は心の中で善光寺はただの観光地だと思う気持ちがない訳ではありませんでしたが、やはり素晴らしい霊的な聖地でした。

それだからこそ、これだけの長い歴史があり、御開帳の年には一千万人以上の人が参拝する人気スポットとなっているのでしょう。


いろいろな気づきがあり、とてもよい、充実した一日になりました。


(文責 K.A.)

閲覧数:74回1件のコメント

1 Comment


Kohta K
Kohta K
Jun 16, 2023

たった5名の予約でこの貴重な掛け軸のある大広間で食事が出来て、予定外の副住職による説明を聞くことが出来ました。この幸運はすべてグルジからの祝福としか考えられません。Kより

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